ソ中関係 : 1917-1957年記録集[第2分冊]

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ソ中関係 : 1917-1957年記録集[第2分冊]
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[ソ連邦科学アカデミー中国学研究所]
出版地
[出版地不明]
出版者
ソ連邦科学アカデミー中国学研究所
出版年
1960
形態的記述
5冊 ; 25cm.
目次
r1, 第二分册目次, 4-10
r2, 第一部 一九一七年一―九四九年(記錄), 11
r3, 五九 一九二五年二月二五日―中国駐在ソ連邦特命全権代表エル・エム・カラハンの中国に対する覚書に関する報道, 11-12
r4, 六〇 一九二五年三月一一日―孫逸仙のソ連邦中央執行委員会に対するメッセージ, 12-13
r5, 六一 一九二五年三月一一日―赤軍部隊の外蒙からの撤退に関する蒙古政府のソ連邦政府に対するメッセージ, 13-14
r6, 六二 一九二五年三月一四日―外蒙からソビエト軍隊の撤退について、中国駐在ソ連邦特命全権大使エル・エム・カラハンの中国政府に対する覚書に関する報道, 14-15
r7, 六三 一九二五年三月二四日(注)―孫逸仙の死去に関するソ連邦中央執行委員会の国民党宛哀悼の電報, 15-16
r8, 六四 一九二五年四月一四日―中国駐在ソ連邦特命全権大使エル・エム・カラハンの中国政府に対する覚書に関する報道, 16-17
r9, 六五 一九二五年七月二日(注)―ソ連邦外務人民委員グ・ヴェ・チチェリンのインタビュー, 17-21
r10, 六六 一九二五年四月二四日―日本政党憲政会総裁望月氏主催の北京での宴会における中国駐在ソ連邦特命全権大使エル・エム・カラハンの演説, 22-26
r11, 六七 一九二六年一月二二日―中東鉄道における奉天当局の専横に対する中国駐在ソ連邦特命全権大使エル・エム・カラハンの抗議に関する報道, 27-28
r12, 六八 一九二六年一月二二日(注1)―中国駐在ソ連邦大使エル・エム・カラハンのハルビン駐在ソビエト総領事グラントに対する電報, 28-29
r13, 六九 一九二六年一月二二日―吉林駐在ハルビン外交委員に対するハルビン駐在ソ連邦総領事の覚書に関する報道, 29-31
r14, 七〇 一九二六年一月二四日(注1)―中国政府に対するソ連邦外務人民委員グ・ヴェ・チチェリンの電報(注2), 31-32
r15, 七一 一九二六年一月二四日―吉林省濱江道外交委員に対するハルビン駐在ソ連邦総領事の覚書に関する報道, 32-33
r16, 七二 一九二六年一月二五日―ソ連邦駐在中華民国代理大使を通じて手渡されたソ連邦外務人民委員グ・ヴェ・チチェリンに対する中華民国外交部主任王正廷の電報, 34
r17, 七三 一九二六年一月二七日―中東鉄道における紛争の調整に関する報道, 35
r18, 七四 一九二六年一月三〇日(注)―ソ連邦外務人民委員グ・ヴェ・チチェリンの中華民国外交部長に対する回答, 36
r19, 七五 一九二六年八月三一日―ソ連邦外務人民委員グ・ヴェ・チチェリンのモスクワ駐在中華民国代理大使に対する覚書, 37-38
r20, 七六 一九二六年九月七日―ソ連邦外務人民委員のモスクワ駐在中国代理大使に対する覚書, 38-39
r21, 七七 一九二七年四月九日―中国兵および警官による北京駐在ソ連邦全権代表部付武官の建物に対する襲撃、逮捕、全権代表部員に対する侮辱に関する外務人民委員のソ連邦駐在北京政府代理大使に対する覚書, 40-43
r22, 七八 一九二七年五月六日(注1)―在北京ソビエト全権代表部における捜索に関連してソ連邦外務人民委員代理エム・エム・リトヴィノフのインタビュー, 43-46
r23, 七九 一九二七年一二月二三日(注)―在広州(広東)(注2)ソビエト領事館の襲撃に関連してソ連邦外務人民委員部の声明から, 47-48
r24, 八〇 一九二八年五月二二日(注)―日本軍の山東省侵入に関しソビエト新聞代表者に対するソ連邦外務人民委員グ・ヴェ・チチェリンのインタビュー, 49-50
r25, 八一 一九二九年五月三一日―モスクワ駐在中華民国代理大使に対するソ連邦外務人民委員部の覚書, 50-53
r26, 八二 一九二九年七月一三日―ソ連邦外務人民委員部のモスクワ駐在中華民国代理大使に対する覚書, 53-58
r27, 八三 一九二九年七月一六日―南京政府外交部のモスクワ駐在中華民国代理大使に対する電報, 58-59
r28, 八四 一九二九年七月一七日―ソ連邦駐在中華民国代理大使シャヴェイスンのソ連邦外務人民委員代理エリ・エム・カラハン宛覚書, 59-61
r29, 八五 一九二九年七月一七日―ソ連邦外務人民委員部の中華民国代理公使に対する覚書, 61-63
r30, 八六 一九二九年八月三一日(注)―ソ連邦外務人民委員部の発表, 63-66
r31, 八七 一九二九年九月六日―ソ連邦外務人民委員臨時代理エム・エム・リトヴィノフのタス通信員との談話, 67-68
r32, 八八 一九二九年一一月二三日―中国軍のソ連領土への侵入企図と特別極東軍の反撃に関する報道, 69-70
r33, 八九 一九二九年一一月二八日―奉天当局によるソビエト政府の条件受諾に関するソ連邦外交人民委員部の発表, 70-72
r34, 九〇 一九二九年一二月三日―ソ連邦外務人民委員部の発表, 73-77
r35, 九一 一九二九年一二月七日―ニコリスク・ウスリースクにおける交渉の結果に対する奉天当局の同意に関するソ連邦外務人民委員部の発表, 77-78
r36, 九二 一九二九年一二月一五日―奉天当局および南京政府代表のハバロフスク到着に関するソ連邦外務人民委員部の発表, 78-79
r37, 九三 一九二九年一二月二二日―中東鉄道における旧状態の復活に関するソ中議定書, 79-81
r38, 九四 一九三〇年一〇月一一日―ソ中会議開催に際しソ連邦外務人民委員代理エリ・エム・カラハンの演説, 82-84
r39, 九五 一九三〇年一一月一〇日―会議における中華民国全権代表に対するソ中会議ソ連邦代表ソ連邦外務人民委員代理エリ・エム・カラハンの書簡, 84-85
r40, 九六 一九三〇年一一月一七日―ソ中会議中国代表のエリ・エム・カラハンに対する書簡, 85-87
r41, 九七 一九三〇年一一月二四日(注)―ソ中会議中国代表に対するエリ・エム・カラハンの書簡, 87-90
r42, 九八 一九三〇年一一月二八日―ソ中会議中国代表のエリ・エム・カラハンに対する書簡, 90
r43, 九九 一九三〇年一一月三〇日―エリ・エム・カラハンのソ中会議中国代表に対する書簡, 90-91
r44, 一〇〇 一九三〇年一二月一二日―ソ中会議中国代表のエリ・エム・カラハンに対する書簡, 91
r45, 一〇一 一九三〇年一二月二五日―エリ・エム・カラハンのソ中会議中国代表に対する書簡, 92
r46, 一〇二 一九三一年三月二九日―ソ中会議中華民国代表のモスクワ到着に関する報道, 92-93
r47, 一〇三 一九三一年九月―一九三一年九月一八日日本帝国主義者の中国東北侵入に関するソビエト新聞, 93-95
r48, 一〇四 一九三二年七月二日―一九三二年六月二九日に行われた中国代表団員ヴァンツェンスイとソ連邦外務人民委員部第二東方部長の会談に関する発表, 95
r49, 一〇五 一九三二年一二月一三日―中国とソ連邦との間の外交関係復活に関する報道, 95-96
r50, 一〇六 一九三二年一二月一三日(注)―中国とソ連邦との間の外交関係復活に関するソ連邦外務人民委員エム・エム・リトヴィノフのインタビュー, 96-97
r51, 一〇七 一九三四年三月九日―一一日―中国軍事使節団のモスクワ滞在に関する発表, 97-98
r52, 一〇八 一九三六年四月七日―中国外交部長張群の中国駐在ソ連邦大使グ・ヴェ・ボゴモロフに対する覚書, 98-99
r53, 一〇九 一九三六年四月八日―ソ連邦外務人民委員エム・エム・リトヴィノフのソ連邦駐在中国代理大使吳南如に対する覚書, 99-101
r54, 一一〇 一九三七年七月一七日―日本軍の北中国進入についてのソ連邦駐在中国大使館蔣廷黻のソ連邦外務人民委員エム・エム・リトヴィノフに対する声明に関する発表, 101-102
r55, 一一一 一九三七年八月二一日―ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の不可侵条約, 102-104
r56, 一一二 一九三七年九月二一日―国際連盟総会におけるソ連邦主席代表エム・エム・リトヴィノフの演説から, 104-109
r57, 一一三 一九三七年九月二五日―日本空軍による中国都市爆撃に関連し在モスクワ中国大使館のソ連邦人民委員部に対するメッセージ, 109-110
r58, 一一四 一九三七年一〇月三〇日―極東情勢問題に関するブラッセル会議へのソ連邦の招請に関するソ連邦人民委員部の発表, 110-111
r59, 一一五 一九三七年一一月一三日―ブラッセル会議におけるヴェ・イ・ポチョムキンの演説, 111
r60, 一一六 一九三八年四月一日―五千万米ドル借款実施に関するソヴィエト社会主義共和国連邦および中華民国両政府間の協定, 111-116
r61, 一一七 一九三八年四月五日―一九三八年四月四日モスクワ駐在日本大使重光のソ連邦外務人民委員エム・エム・リトヴィノフ訪問に関するタス通信報道, 116-118
r62, 一一八 一九三八年六月二一日―広州(広東)爆撃についてのソビエト政府の日本外務省に対する抗議に関する報道, 118
r63, 一一九 一九三八年七月一日―五千万米ドル借款実施に関するソビエト社会主義共和国連邦および中華民国政府間の協定, 118-123
r64, 一二〇 一九三八年九月三〇日―ソ連邦外務人民委員エム・エム・リトヴィノフの国際連盟理事会および総会における声明, 123-124
r65, 一二一 一九三九年六月一三日―ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国政府との間の一億五千万米ドルのクレジットの提供に関する条約, 124-128
r66, 一二二 一九三九年六月一六日―ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の通商条約, 129-134
r67, 一二三 一九三九年九月二八日―大十月社会主義革命二二周年に当り毛沢東の論文, 135-143
r68, 一二四 一九四一年六月二三日―毛沢東によって書かれた中国共産党中央委員会の党諸組織に対する指令, 144
r69, 一二五 一九四二年一月一日―連合国宣言, 145
r70, 一二六 一九四二年一一月六日―毛沢東の論文、「十月革命二十五周年に当り」, 146
r71, 一二七 一九四三年一〇月三〇日―全般安全保障問題に関する四カ国宣言, 146-148
r72, 一二八 一九四五年八月八日―ソビエト政府の日本政府に対する声明, 148-149
r73, 一二九 一九四五年八月八日―毛沢東と朱徳のソ連邦閣僚会議議長イ・ヴェ・スターリンあてソ連邦の対日戦参加に関した電報, 149
r74, 一三〇 一九四五年八月九日―毛沢東のソ連邦の対日宣戦布告に関する論文, 150-151
r75, 一三一 一九四五年八月一〇日―ソ連邦、アメリカ合衆国、グレートブリテンおよび中国政府の日本政府に対する回答に関するタスの報道, 151-152
r76, 一三二 一九四五年八月一四日―ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の友好および同盟に関する条約, 152-154
r77, 一三三 一九四五年八月一四日―ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の中国長春鉄道に関する協定, 154-159
r78, 一三四 一九四五年八月一四日―ソビエト社会主義共和国と中華民国との間の旅順港に関する条約, 159-160
r79, 一三五 一九四五年八月一四日―ソビエト社会主義共和国連邦と中華民国との間の大連港に関する協定, 160-162
r80, 一三六 一九四五年八月一四日―「日本政府に対する現在の共同戦争に関連してソビエト軍の中国東三省領への進駐後のソビエト総司令官と中国行政機関との間の関係に関する協定, 162-163
r81, 一三七 一九四五年八月一四日―ソ連邦外務人民委員の中華民国外交部長あて中国中央政府に対する援助の提供、東三省(満州)に対する中国の主権および新疆における事件に関する覚書, 163-164
r82, 一三八 一九四五年八月一四日―中華民国外交部長とソ連邦外務人民委員との間のモンゴール人民共和国の独立に関する覚書の交換, 165
r83, 一三九 一九四六年二月二六日―マリノフスキー元帥の参謀長トロチェンコ中将の長春諸新聞編集者に対するソビエト軍の東北中国(満州)からの撤退問題に関する声明, 166-167
r84, 一四〇 一九四六年三月二四日―ソビエト軍の東北中国からの撤退完了期日に関するタスの報道, 167
r85, 一四一 一九四六年四月六日―ソビエト軍の東北中国からの撤退の経過に関する報道, 167-168
r86, 一四二 一九四六年五月二二日―ソビエト軍の東北中国からの撤退完了に関する報道, 168
r87, 一四三 一九四八年二月二一日―ソビエト連邦と中華民国との間の不可侵条約の効力延長に関するタスの報道, 169
r88, 一四四 一九四九年一月一八日―ソビエト政府の中国政府の要請に対する回答に関する報道, 169-170
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作成日/Date Created
2021/12/14
更新日/Date Modified
2024/12/11